インド カルナタカ『マナサ・ジョティ・トラスト』

インド旅で私が楽しみにしていた子供達へのボランティア活動。(2013年1月〜3月)Disable Children 日本語で言うと身体障害児だけど、私達は彼らをSpecial childrenと呼んでいる。

『特別な子供達』

 

 沖縄に住んでいた頃から本格的に始めた特別な子供達へのダンス&ヨガクラス。

 

今回ご縁があった場所は、南インド、カルナタカ地方にある小さな小さな街クンダプール。私はここで2ヶ月間彼らと生活を共にした。

 

ここには14人の運が良かった子供達が生活している。

 

彼らは、この学校を作ったオランダ人女性とインド人女性に運良く出会い

保護された。

彼らのほとんどがここに来る前、ひどい虐待を大人達から受けて来ている。

彼らは親類や前に暮らしていた施設のインド人のヘッドマスターから、ひどい暴力、そして女の子達はセクシャルな虐待を受け続けていた。 ヘッドマスターからはベルトで夜な夜な殴られ、手足を縛られトイレに放置。女の子の数人はレイプされ彼女らは子宮の摘出手術を受けた。ある子供は彼のおばあちゃんから木の棒で殴られ続け、セクシャルなことをやらせては笑い者にするという虐待などを受けてきている。彼らは手足が不自由で、しかも1名を除く子供達は発達障害と言語障害、ダウン症の子供達。

だから抵抗もできる術もなく、どう抵抗して良いかもわからないまま虐待され続けてきていた。

 

こんな過去を持って彼らは生きている。

 

彼らは発達障害。健常者と呼ばれる私達側からしてみると、全く理解してないようにみえると思うが、彼らはしっかり全てのことを理解している。彼らと生活を共にし、それがはっきり分かった。ただ表現方法が健常者と違うだけなのだ。

理解しているということは、次に何をしないといけないのか、という表面的なものではなく、内面を、特に相手の内面を良く理解している。笑う、泣く、怒る、悲しむ・・・全ての表現を彼らはつつみ隠さない。もちろんこれらの表現方法もみんな違う。そして個性的。でも共通しているのが誰1人として計算を頭の中でして行動していないこと。

これは健常者と大きく違う事で健常者が忘れてしまいがちな、心からの行動は彼らにとっては普通なのだ。

 

私はこの計算の無い世界に触れていたくて、こういう場所を選んできている。

 

でもそこにも課題がある。感情のままに生きていくだけでは人間としての営みから、

大きくはずれてしまうからある程度の規則が彼らには必要となる。

 

彼らのほとんどが朝起きた時から何をすべきか分からない。だからまずはトイレに行って、顔を洗って、御飯を食べて、歯を磨く・・・人間の基盤(健常者から考える一般的な基盤)となる最低限の行動を毎日同じ時間に行い習慣付ける。彼らの行動をしっかり観察し、人に危害を加える行動にはとても厳しく注意する。

 

彼らは暴力を受け続けて来ているので当然それを覚えていて、自分に、そして人に行うようになる。それをしっかり見極め注意する。このような生活ベースを作りながら学校の時間は彼らといろんな事にトライした。

 

 彼らはほんとうに純粋でアーティスティック。『天才なんだなっ』と感じる事は頻繁で

例えば1人女の子は全く普通の言葉は話さない。普段は奇声を上げているけれど、音楽を集中して聞く能力に長けていて、あるジャンベの難しい音楽を聴かせると、次の日何気にそのフレーズを完璧に口づさんでいたりする。

 

ある子はいつまでも陰と遊んでいる。本気で遊んでいる。それが本当に『これこそダンス』って思わされるくらいの芸術。

 

ある日私達は鳥の手を画用紙で作った。ある子供はその手をつけてずっと飛んでいる。幸せそうに飛んでいる。『うわーーーダンスだー』

 

毎日びっくりすることが起きる。

 

 こんな彼らは自分らのトラウマを背負いながら生きている。彼らの多くは親がいなかったりいても面会に来ない。ほとんどの子供達が、この学校が人生の全てなのだ。

 

もちろん、インドは文化や考え方がだいぶ違う。インドには大きく『カースト制度』が存在している。

 

身体に障害を持って生まれた多くの子供達は生まれた時に殺される事が多い。たまたま殺されなくても頭に障害を持っている場合は物乞いができないから、室内に放置され夜は虐待され、過酷な状況化で生き続ける場合が多い。カースト(身分)が低く、頭に障害を持ってない場合は外で物乞いをして一生暮らす。インド人の一般人は、輪廻と因果応報を強く信じているので身体に障害を持って生まれた子供達は、前世で悪いことをしたから今こうして現世に現われていると考えている。もちろん全てのインド人がそんなふうに思ってるわけでは無いが、一般的な考え方はこんな意見だった。だから虐待が絶えないし、現に虐待をしていたヘッドマスターは警察にも捕まらず、同じ街で普通に生活をし、隣人も普通に何も無かったように接する。本を読んで書いているのではなく、今回私が実際に体験し、多くのインド人と話し、実際にここに書いたヘッドマスターも同じ街で見かけた。

 

これがインドの現実なのだ。

 そして輪廻と因果応報とは本当にいろんな角度から意味を持った言葉なのだと実感している。

 

日本にも虐待などの問題はたくさんあるが、ベースとなる人々の考え方が全く違う。

 

子供たちがいつも幸せな気持ちでいられますように。