『言葉』

日本に帰って来て私は日本語を使える事が嬉しい。なぜなら日本語はたくさんの言い回しがあって優しいと思う。例えば英語の「you」英語はこれで済ませてシンプルなんだけど 日本語ではたくさん言い方あるでしょ、「きみ、おまえ、あんた、あなた、、」他、複数系で呼ぶ事もできる スペイン語も「tuusted、、、」ちゃんと相手に対して呼び方を変える事ができてスペイン語は他に女性名詞や男性名詞もある 英語はフレンドリーな感じで良い事もあるが私はしっかり人によっては尊敬語を使って話したい あ、英語もsirとかあるけどなんかしっくりこなかったな。だから、私は 言葉って大切で大きなエネルギーを持っていると思っている。

ボランティアで、4歳の子供とご飯を食べていた時。その子は最後にお米をたくさん残したので、いろーんなお話をして一緒に最後まで食べる方法を見つけていた。彼が言った「食べたらお米は喜ぶ?」優しい言葉だね。私はもちろん言った「喜ぶよ」彼は「グレイゾーン」と呼ばれていて発達障害があるので園に来ている。彼は濁音を発するのが苦手で会話の節々に聞き取りつらいこともあるけど、しっかり人の話が聞け自分の意見も言える。運動の時間で木のポーズ(片足で立って木のようになるポーズ)をやっていた時、「お外に生えてる木を思い出してあんなふうにどっしり立ってみて」と話すとたちまちしっかりバランスを取る 想像力がたけている。彼が胡座をかいてピンと背筋を伸ばして呼吸に集中するポーズをとると 先生が「こんな顔つき見た事無い」と嬉しそうに話していた。彼は左右を反対に認識している 右と言ったら左を動かす。いろんな場面で最初は左右をしっかり認識させようと思っていたが途中からそんな事はどうでもいい事に気づいた。だって左右って誰が決めたの?みんなが便利で都合よく生活するために決めたんでしょ?実際私は小さい時、多分10歳くらいまで左右がいつもわからなかったしよく覚えてるけど幼稚園の時の折り紙の時間、全く折り紙ができなかった。先生の折り方を真似しようとしてもできなく折れなかった事をはずかしいと思ったのをよく覚えている。運動会の時、ダンボル競争っていう種目で切った段ボールの中に入って四つん這いで競争するんだけど、私はここがどこだか分からなくなってゴールをできなかった事を覚えている。多分言葉もしっかり使えるようになるのが遅かったし身体もとっても小さかった 小学校の時は計算とか本当にわからなかったよ。

 え?発達障害?でも今しっかり生きてますけど。。小さい子供を持つ親達は心配になる 病院の先生が「もしかしたらお子さん、発達障害かもしれません」「あれ、うちの子同級生のあの子より言葉が遅い、もしかしたらうちの子グレイソーンで障害があるのかも」とかで悩んでたりしてるかもしれない。そして自分のせいや誰かのせいにしたりする。

じゃあ正常って何?人と同じように大きくなって言葉をスムーズに覚えて全て人並みに生活ができること?じゃ人並みの基準は誰が決めたの?日本人は人と比べる事が多い気がする、それから人の言った事を真に受ける習性があると思う。確認もしないままに。だからメデイア洗脳がうまく行った国なんだなって思ってる。

 余談だけどよくヨガのポーズで激しいポーズや見た事のないポーズをとると麻原みたい、なんて言う人とかいる。こんな人に出会うと「完全にメディアからbrain washされてるな」って思ってる、ヨガ=宗教みたく考えてる人も多いはず。確かにヒンドゥー教がベースで組み立てられている部分はある。でもさぁ、日本なんてもっとすごいよ。

クリスマスはキリスト教系でしょ、結婚式でもチャペルで式あげたりして急にキリスト教になったり、正月はお寺や神社へ行ってお参りして仏教系や神道になるでしょ。。多神教。。私はそんな日本が好きなんだけど 外人からすると理解できない感覚みたいだけどね。話がはずれたけど言葉ってすごい大切なんだって思ってるんだ。

特に病院の先生!親を不安がらせたりしないで欲しい、その言葉の裏には「言っておかないと訴えられるかもしれない」って頭があるのも確かでしょ。基準値って定められて言わなくちゃいけないこともあるんだろうけど そこにしっかり付け加えよう!人それぞれの優しい言葉を。学校の教師も一緒だし親も同じ、私も気をつけているからあなたも気をつけよう。でもね この気をつけようって頭がそもそも計算なんだと思う。

私はこの計算なく何もそんな事を考えずにただいつも優しくできるようになりたい。計算をしたくない。

ナマステ